【開運さんぽ・ご利益】
学問・勉強・芸能の寺社

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才人・菅原道真公を祀る天満宮

 4月は新入学シーズン。新しく習い事や勉強を始めた人も多いことでしょう。
 勉学の神様といってまず思い浮かぶのは天神様、つまり平安時代の貴族で学者、文人としても有名な菅原道真(すがわらのみちざね)です。

 道真公は845年8月1日(承和12年旧暦6月25日)生まれ。小さい頃から詩歌の才能を発揮し、朝廷に勤めてからは宇多天皇に重用されて、権大納言兼右近衛大将まで出世しました。
 897年(寛平9年)、宇多天皇が醍醐天皇に譲位した後も昇進を続け、右大臣にまで上り詰めましたが、次第に周囲の嫉妬を買うようになり、901年、時の左大臣・藤原時平の企てによって罪を着せられ、福岡県の太宰府へ左遷。4人の子供たちも流刑に処されてしまいます。
 そして903年3月26日(旧暦2月25日)、失意のまま太宰府で亡くなります。太宰府へ出発する時に詠んだ詩が有名です。
 東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

 ところが道真公の死後、朝廷では藤原時平をはじめ変死や病死が相次ぎます。さらに清涼殿という建物に雷が落ちて死傷者が出ると、朝廷は「これは道真の祟り(たたり)だ」と恐れ、その怒りを鎮めるために罪を赦し、子供たちの流罪も解きました。つまり、はじめは怨霊扱いだったのです。

 天満宮はこの菅原道真を主祭神とする神社であり、天神様、天満神社、菅原神社、天神社と呼ばれることもあります。天満宮は全国に約12,000社あると言われますが、その総本宮が太宰府天満宮と北野天満宮です。
 太宰府天満宮の縁起では、ご遺体を牛車に乗せて進んでいると、ある場所で急に牛が伏して動かなくなってしまいました。これも道真公の御心によるものであろうと、そこに墓を作り埋葬されました。
 その後、道真公の怒りを鎮めるために墓所の上に社殿を建て、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈って祀ったわけです。

 当初は、宮中への落雷事件のせいで雷の神=天神(火雷神)とされましたが、時が流れると祟り神の一面は薄れ、元々持っていた学問や詩歌、書道の優れた才能によって次第に「学問の神様」へと変わっていきました。今では受験シーズンになると多くの受験生が合格祈願に訪れます。
 先の牛車の話のように、道真公には牛にまつわる伝説や逸話がたくさんあり、牛は天神様の神使になっています。天満宮には座った牛(臥牛)の像が多く奉納されており、自分の病気や傷と同じ箇所をさすると治ると言われます。

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参考記事:
亀戸天神社(2015.03.12.)


閻魔様と一緒に働いた!?小野篁

 平安時代前期の公家である小野篁(おののたかむら、802年〜853年)も、漢詩や和歌、武芸に優れ、今は学問・芸能の神様として知られます。
 篁には不思議な逸話が残っています。昼間は嵯峨天皇の下で官吏として働き、夜になると冥府(地獄)に降りて、閻魔大王の手伝いをしていたというのです。実際、京都の六道珍皇寺には、篁が冥府への入口として使ったとされる井戸が残っています。


参考記事:

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困ったときには文殊菩薩の智恵をお借りする

 仏教で智慧・知恵を司る仏とされるのが文殊菩薩(もんじゅぼさつ)。いわゆる「三人寄れば文殊の智恵」ということわざに出てくる仏様で、学業向上や合格祈願にご利益があるとされ、兎年の守り本尊にもなっています。仏像では、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持っています。
 文殊菩薩をご本尊とする寺院は文殊院などと呼ばれます。日本の三文殊は、奈良県の安倍文殊院、京都府の智恩寺(切戸文殊)、山形県高畠町の亀岡文殊堂。
 東京では幽遠山開光院[東京都あきる野市]がご本尊とするほか、釈迦三尊像の脇侍としては増上寺の三解脱門(非公開)などで祀られています。また、浅草寺の影向堂、深川不動堂などでもお参りすることができます。



日本最古の踊り子、アメノウズメ

 佐瑠女(さるめ)神社は、伊勢市の猿田彦神社の境内社。ご祭神の天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、天照大御神が天岩戸に隠れたとき、岩戸の前で踊ったり笑わせたりして天照大御神の気を引き、岩戸を開くきっかけを作りました。そのため俳優、神楽、技芸などの神様とされます。天孫降臨の後、猿田彦の妻になりました。

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 京都の車折神社(くるまざきじんじゃ)内の芸能神社、戸隠神社の中社、また全国の宮比神社でもアメノウズメノミコト(宮比神)をご祭神とします。


参考記事:
猿田彦神社(2014.05.30.)

 また、新宿5丁目に鎮座する花園神社の境内にあるのが芸能浅間神社。ご祭神である木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)は安産・子育て、酒造の神様ですが、花園神社は江戸時代から演劇や歌曲などとの関わりが深く、いつしか芸能関係の信仰を集めるようになりました。



さまざまな性格を持っている弁天様

 七福神に入っている弁才天も、芸能・芸術・音楽・学問などの神様として有名です。
 元々はヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」で、仏教に取り込まれ、さらに神仏習合によってさまざまな姿に変わってきました。
 サラスヴァティーとは聖なる河のことで、はじめは水の神様でした。弁天堂が池や川のそば、島など水辺に多く建てられているのはそのためです。
 水の流れる音から音楽神の性格が生まれ、さらに芸術、学問へと広がりました。音楽神としての弁天像は琵琶を抱えています。
 その一方、戦勝神という性格も持ち、さらに日本では「才」が「財」に置き換わって「弁財天」となると、今度は金銭にまつわる財宝神となりました。それによって、境内の湧き水で持参したお金を洗うと数倍になって返ってくるという、銭洗いの信仰も生まれています。
 弁天様をお祀りする神社仏閣は全国各地にあります。

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参考記事:
江島神社(2016.09.04.)