【開運さんぽ・神社仏閣】
日光山・二社一寺

 10月22日(日)、超大型で非常に強い台風21号が近づく中、日光へ行ってきました。あいにくの大雨。しかもグループ旅行だったので時間制限もあり、駆け足の参拝となりました。さすがに全体に人出は少なかったのですが、日光東照宮だけは団体観光客でいっぱいでした。
 二社一寺とひと口に言っても、日光山は広く、見所がいっぱい。紅葉も一部で始まっており、雨に煙る山々は神秘的でした。

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奈良時代に開かれた日光の山

 「日光の社寺」は1999年に世界文化遺産に登録されました。これには、日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺を中心に、103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物群と周囲の遺跡(文化的景観)が登録されています。

 日光の山を開いたのは、奈良時代の僧侶、勝道上人(しょうどうしょうにん)です。
 天平神護2年(766年)、修行中の勝道上人は、今の神橋あたりに、千手観音をご本尊とする紫雲立寺(現在の四本龍寺<しほんりゅうじ>の前身)を建立。これが日光開山とされます。
 神護景雲元年(767年)、霊峰である二荒山(男体山)を拝むために祠(現在の本宮神社)を建立。
 そして、まだ誰も入ったことのない二荒山(男体山)への登頂するも失敗。延暦元年(782年)、3度目の挑戦でついに成功。
 延暦3年(784年)、中禅寺湖畔に神宮寺(現在の中禅寺)建立。

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 鎌倉時代には、三山(男体山・女峰山・太郎山)、三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)、山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する神仏習合が進展し、山岳修行修験道の地として栄えました。
 江戸時代、天海大僧正が輪王寺の住職となり、初代将軍・徳川家康の死後に日光東照宮が建てられ、東照大権現として祀られます。

 そして、明治時代の神仏分離令によって日光山は解体され、現在の二社一寺(にしゃいちじ)、つまり日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺となりました。



日光山岳信仰の中心、二荒山神社

 二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の創建は、神護景雲元年(767年)に建てられた本宮神社とされます。
 日光山岳信仰の中心であり、日光三山(男体山、女峯山、太郎山)を御神霊として崇め、ご祭神は以下の親子三柱です。

男体山:大己貴命(おおなむちのみこと。大国主命)(父)
 二荒山神社から遥拝。頂上に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠
女峯山:田心姫神命(たごりひめのかみのみこと)(母)
 瀧尾神社から遥拝。頂上に奥社
太郎山:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)(子)
 本宮神社から遥拝。頂上に太郎山神社

 その神域は男体山を中心に3,400ヘクタールに及び、伊勢神宮に次いで2番目の広さを誇ります。華厳の滝、いろは坂も境内参道です。
 現在の社殿は、元和5年(1619年)に2代将軍・徳川秀忠の寄進によって建て替えられたもので、日光山内で現存する最古の建築物です。
 ご祭神が、出雲大社祭神である大国主命のため、現在では縁結びの神様としても人気です。

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二荒山神社マップ
(二荒山神社ホームページより)


 日光山内の入口にある神橋(しんきょう)は、二荒山で修行するために大谷川(だいやがわ)にかけた橋です。勝道上人が大谷川を渡れずに困ったとき、神仏に加護を祈ると深沙大王が現れ、赤青2匹の蛇で両岸をつないで橋を作ってくれたという伝説があります。

 社殿左手の神苑(入場料200円)には、大国主命を祀る大国殿や多くの末社、ご神木があります。
 二荒霊泉は、眼病に効くと言われる「薬師霊泉」と、天狗沢のほとりに湧出る名水「酒の泉」を引き入れたもので、飲むと若返りや健康長寿のご利益があるとされます。

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下野国一之宮 日光二荒山神社 にっこうふたらさんじんじゃ
住所:〒321-1431 栃木県日光市山内2307
電話:0288-54-0535
ホームページ:http://www.futarasan.jp
最寄駅:JR日光駅・東武日光駅より東武バス「西参道」下車
神苑拝観料:200円(本堂参拝は無料)


大猷院などを有する輪王寺

 輪王寺とは1つではなく、本堂(三仏堂)、大猷院、慈眼堂、常行堂、大護摩堂、四本龍寺、奥日光の中禅寺などのお堂や本坊、さらに15の支院を統合した総称です。

 勝道上人によって開山。鎌倉時代には源頼朝公をはじめ将軍家の帰依があり、関東の一大霊場として栄えました。
 江戸時代のはじめ、天海大僧正(慈眼大師)が住職となり、徳川家康公の東照宮を日光に作りました。

 総本堂である三仏堂(さんぶつどう)には、日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)が安置されています。
 三仏堂の建物は現在、約50年ぶりの大修理の最中で、全体が囲いで覆われています。地上26mの部分には「天空回廊」があり、修理現場や外の景色を眺めることができます。

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 大猷院(たいゆういん)は、3代将軍・徳川家光公の廟所(びょうしょ:墓所)。家光公は「東照宮を凌いではならない」と遺言したため、金と黒の重厚で落ち着いた造りになっています。
(今回は残念ながら行けませんでした。)
 ちなみに2代将軍・徳川秀忠の墓は東京・芝の増上寺にあります。

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輪王寺マップ
(輪王寺ホームページより)


日光山 輪王寺 にっこうさん りんのうじ
住所:〒321-1494  栃木県日光市山内2300
電話:0288-54-0531
ホームページ:http://rinnoji.or.jp
最寄駅:JR日光駅・東武日光駅より東武バス「勝道上人像前」下車
拝観料:輪王寺券(三仏堂・大猷院)900円
※本堂参拝は無料。三仏堂、大猷院、宝物殿・逍遥園の単独拝観券あり


日光東照宮は江戸の守護神

 日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る神社です。

 徳川家康は元和2年4月17日(1616年)に逝去しますが、はじめは久能山(今の久能山東照宮)に埋葬し、その1年後、日光に遺体を安置するよう命じました。
 「遺体は駿河の久能山に納め、葬儀は江戸の増上寺にて行い、位牌は三河の大樹寺(先祖代々の菩提寺)に立て、一周忌を過ぎて以後、日光山に小さき堂を建て、勧請せよ。神に祀られることで関八州の鎮守になろう」

 2代将軍・徳川秀忠は遺言どおり、質素な東照宮を造営し、一周忌に遷座祭が行われました。その後3代将軍・家光は家康公(つまり江戸幕府)の威光を高めるために、寛永13年(1636年)から大造替を行い、現在の豪華絢爛な東照宮へと変貌したのです。

 日光が選ばれた最大の理由は、江戸城の真北に位置するからと言われます。
 古代中国では、位置が動かない北極星は宇宙の中心であり、宇宙全体の神・天帝とされました。これは「北辰信仰(北辰北斗信仰、妙見信仰)」と呼ばれ、密教に引き継がれます。

 元々関東最大の宗教的霊場であった日光山は、江戸から見てほぼ真北に位置します。
 ちなみに、江戸市内の上野寛永寺・神田明神・日枝神社・芝増上寺を結ぶラインは、江戸城の北東(鬼門)〜南西(裏鬼門)に当たる鬼門封じなので、北を結ぶラインとは異なります。

 日光東照宮の境内は、鳥居・陽明門・唐門・御本社が一直線に並び、さらにその真後ろに北極星が位置します。つまり、日光東照宮=徳川家康を拝むということは、天帝・北極星を拝むことになります。

参考記事:

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 御本社の真裏、長い石段を登った先にあるのが奥宮。ここの奥宮宝塔の下に徳川家康公が眠るとされ、日光東照宮最強のパワースポットと言われます。

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 東照宮を造営するときに北辰信仰を取り入れたのは、もちろん家康公のブレーンだった天海僧正です。
 家康は日光で自ら「神様=権現」となって江戸を鎮守しようとしたのであり、現在も東照宮がパワースポットとされる由縁です。

 平成9年(1997年)から平成の大修理が進行中で、4年かけてお色直しした陽明門が今年3月に竣工。神厩舎(ご神馬をつなぐ厩=うまや)の猿の彫刻(三猿など8面)も65年ぶりに修復され、美しい色彩が蘇りました。本殿は現在も修理中です。

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日光東照宮 にっこうとうしょうぐう
住所:〒321-1431 栃木県日光市山内2301
電話:0288-54-0560
ホームページ:https://www.toshogu.jp
最寄駅:JR日光駅・東武日光駅より東武バス「勝道上人像前」下車
拝観料:日光東照宮単独拝観券1,300円