【開運さんぽ・仏閣】
深川不動堂
深川不動堂
ふかがわふどうどう
●成田山が江戸にやって来た
東京は江東区。隅田川のほど近く、下町情緒が残る門前仲町で「深川のお不動様」と親しまれているのが、深川不動堂です。
実はここ、千葉県成田市の大本山成田山新勝寺(以下成田山)の東京別院。成田山のご本尊のご分身を祀ったお寺なのです。真言宗智山派。
成田山の創建は平安時代までさかのぼりますが、江戸時代初期に成田詣が流行するなど人気のお寺となりました。
しかし、交通網のない江戸時代のこと、江戸から成田まで行くこと自体が大変。そこで逆に、ご本尊の不動明王像を江戸まで運び、一般公開する「出開帳」が元禄16年(1703年)に行われました。その場所が、富岡八幡宮の別当であった永代寺です。(永代寺は明治の神仏分離令で廃寺となり、現在は深川公園になっています。)
この出開帳が庶民に大人気。以降何度も行われ、ついには別院を東京に作ることとなり、明治14年(1881年)に深川不動堂としての本堂が完成しました。
ご本尊はもちろん不動明王。秘仏になっています。
●境内には見どころがいっぱい!
地下鉄・門前仲町駅を出ると、永代通りに成田山の赤門が建っています。
ここからが参道で、「人情深川ご利益通り」と名付けられています。境内までの約150メートルの間に、和菓子や小物、喫茶店など約40店ほどが並びます。毎月1日、15日、28日の縁日には、永代通りなどにも露店がたくさん出て賑わいます。
石段を3段上がると境内です。さあ、お参りしましょう。
旧本堂
正面にあるのは旧本堂です。戦災で本堂が焼失し、昭和26年に千葉県にあった龍腹寺の地蔵堂が移築されました。区内最古の木造建築であり、江東区の指定登録文化財になっています。
中には「おねがい不動尊」がいらっしゃいます。楠で作られた国内最大級の木造不動尊像だそうです。
旧本堂からそのまま本堂へ入ることができます。
本堂
左手の新しい建物が現在の本堂です。開創310年記念事業として平成23年4月に完成しました。外壁には「真言梵字」がびっしり並んでいるのをお見逃しなく。
毎日の護摩祈祷はこちらで行われます。階段状の椅子席が設けられているので、足が悪い方でも楽に参列できます。
ご本尊の真下には「祈りの回廊」があります。約1万体のクリスタル五輪塔が美しく輝く回廊で、とても神秘的で厳かな雰囲気です。
内仏殿
旧本殿の裏にある建物で、さまざまな諸仏諸尊をお参りすることができます。
1階には「阿」の字が映し出された石橋「阿字橋」や、生まれ年の守りご本尊像。
2階には、四国遍路を簡単に体験できる「四国八十八箇所巡拝所」があります。
4階は大日如来を安置する宝蔵大日堂。その天井には巨大な大日如来様が描かれており、これは必見。日本画家の中島千波画伯による日本最大級の格天井画だそうです。
深川龍神
境内を入ってすぐ左手。手水舎の隣りにあります。
農業や水産業の神である龍神様を祀ったもので、水鉢に「龍神願い札」を浮かべてご祈願します。御札が水に溶けると、願い事が龍神の許に届くそうです。龍神は不動明王の使いでもあります。
深川開運出世稲荷
本堂右手に建つ神社です。やはり成田山境内にある「成田山開運出世稲荷」を勧請したもの。その名のとおり、開運成就のご利益があります。
●煩悩を焼き尽す護摩祈祷
深川不動堂では護摩祈祷(ごまきとう)が毎日行われています。通常は9時、11時、13時、15時、17時。
護摩とは真言密教の修行の一つ。護摩壇につけた火の中に供物や護摩木を投じ、その炎で人間の煩悩や業を焼き尽くすものです。
太鼓や鉦の音が大きく響く中、お坊さんたちの真言が唱えられ、護摩壇に炎が高く上がる様子を見ていると、心が清められていく想いがします。
厄除けや商売繁盛、交通安全などの祈願をするには総合受付所で祈祷申し込みを行い、祈祷料を支払います。本堂で祈祷に参列し、終わった後に御札を受け取ります。
御札は祈祷料によって大きさが異なりますが、ご利益に変わりはありません。御札は家の神棚や仏壇、あるいは目線より高い場所にお祀りしましょう。
護摩祈祷には祈祷申し込みをしていなくとも、誰でも参列できます。
商売繁昌や当病平癒、開運成就、合格成就、八方除など、願意の書かれた護摩木は祈願料が500円、700円、1000円(護摩の時間指定可能)とお手頃なので、お勧めです。せっかく参列するのならご祈願してはどうでしょう。
また、護摩の途中には、参列者の手荷物を護摩壇の火にかざして清めていただく「火加持」があります。案内がありましたら前に進み、お坊さんに荷物を渡しましょう。無料です。
仕事で使うカバンや財布など、大事なものをお願いします。運転免許証やスマートフォンなどはカバンの中に入れて、まとめてかざしてもらうといいです。
●成田山と神田明神のいわくつきの関係
成田山を信仰する人は、神田明神に参拝しない方が良いと言われます。別院である深川不動堂ももちろん同じです。
これは成田山の起源に関わってきます。
天慶2年(939年)に東国の豪族、平将門による「将門の乱(承平天慶の乱)」が起こり、時の朝廷は討伐に乗り出します。その中の1つが護摩祈祷。真言宗の寛朝大僧正に命じ、京都の神護寺の不動明王像を成田に運び、調伏(怨敵を倒すための祈祷)の護摩を行いました。
その効果か、乱は収まったのですが、帰ろうとしてもご本尊像がまったく動かなくなり、寛朝大僧正に「この地にとどまりて東国の鎮護とならん」という不動明王のお告げがありました。そして成田の地で創建されたのが現在の成田山なのです。
その後、平将門を葬った将門塚の周囲で天変地異が続き、これは将門の祟り(たたり)だと恐れられました。そこで神として祀ることで祟りを抑えようとし、延慶2年(1309年)に神田明神のご祭神に加えられました。
つまり、成田山は将門を退治した側であり、その信者が神田明神の境内に入ると、ご祭神である将門公を苦しめるというのです。その逆もあるでしょう。
その真偽のほどは分かりません。都市伝説かもしれませんし、もちろん初詣などでお参りするぐらいなら関係はないのでしょうが、ちょっと気になる話です。
成田山東京別院 深川不動堂住所:〒135-0047 東京都江東区富岡1-17-13電話:03-3641-8288ホームページ:http://www.fukagawafudou.gr.jp/交通:東京メトロ東西線「門前仲町駅」1番出口徒歩2分都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」6番出口徒歩5分宗派:真言宗智山派ご本尊:不動明王(ふどうみょうおう)
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